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千葉地方裁判所 昭和60年(ワ)1794号 判決

原告

田中康宏

右訴訟代理人弁護士

清井礼司

内藤隆

右清井礼司訴訟復代理人弁護士

土田五十二

被告

日本国有鉄道清算事業団(変更前の名称・日本国有鉄道)

右代表者理事長

杉浦喬也

右訴訟代理人弁護士

秋山昭八

平井二郎

右指定代理人

室伏仁

外二名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し金七〇四八円及び内金三五二四円に対する昭和六〇年一二月二一日から、内金三五二四円に対するこの裁判確定の日の翌日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  被告は、日本国有鉄道法に基づいて設立された鉄道事業等を営む公共企業体であったが、昭和六二年四月一日日本国有鉄道改革法一五条、附則二条、日本国有鉄道清算事業団法附則二条の規定により表記のとおり名称が変更されたものである。

(二)  原告は、昭和六〇年当時、被告に雇傭された職員であり、千葉鉄道管理局津田沼電車区運転検修係の職務に従事していた者である。

2  原告は昭和六〇年一一月二一日津田沼電車区長に対し、当該年度に有していた年次有給休暇(以下「年休」という。)の日数の範囲内で、同月二八日の午後半日(午後〇時四五分から同五時五分まで)の年休の請求をした。

3  原告は右年休日に勤務しなかったところ、津田沼電車区長は、これについて年休の取扱をせず、欠勤として処理し、被告は同年一二月二〇日の給与支払日に右欠勤分として三五二四円を控除した(以下「本件賃金カット」という。)。

4  よって、原告は被告に対し、右未払賃金三五二四円とこれと同額の附加金との合計額七〇四八円及び右未払賃金三五二四円に対する支払期日の翌日である昭和六〇年一二月二一日から、右附加金三五二四円に対するこの裁判確定の日の翌日から各支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実は認める。

三  抗弁

1  本件賃金カットをなすに至った経緯

(一) 原告は、昭和六〇年一一月当時、国鉄千葉動力車労働組合(以下「動労千葉」という。)津田沼支部執行委員であった者である。

(二) 動労千葉は、同年九月ころから、国鉄分割・民営化阻止、一〇万人首切り合理化紛砕等を目的とする争議行為を企画していたところ、同年一一月二八日、同日正午以降千葉(国鉄千葉駅)以西に乗り入れる全旅客列車の乗務員を対象とする指名ストライキに突入すること、各支部は同時刻以降闘争集約時までの間、スト対象外の全組合員による非協力・安全確認行動を実施すること等の指令を発し、同日正午から千葉以西に乗り入れる全旅客列車に乗務する乗務員をして一斉に乗務を拒否させたほか、職場集会を開催して気勢をあげ、あるいは乗務しようとする国鉄労働組合所属の運転乗務員の就労を妨害し、あるいは管理職に対する抗議行動と称してその職務を妨害するなどさせた。

このため、千葉鉄道管理局管内の千葉以西だけみても、同日に、一部運休を含め運休した列車は、特急三二本、快速三九本、緩行七二本に達し、遅延(最高三一分)した列車も一六九本となり、翌同月二九日には、争議行為に加え、これを支援すると称する一部過激派の信号ケーブル切断等の同時多発ゲリラ活動の誘発もあり、首都圏の国鉄が全面的にストップし、千葉鉄道管理局管内では、ようやく午後三時五〇分から運転を再開できる等の影響が出、被告の業務の正常な運営が阻害された。

(三) 津田沼電車区においては、同月二八日午前一一時五五分ころから動労千葉津田沼支部事務所脇に約六〇名の組合員が集って集会が開かれ、その際、本部役員や支部長その他の挨拶や「二四時間スト貫徹がんばろう」等のシュプレヒコールが行われ、その後も構内において集会やシュプレヒコールをしながらデモ行進が行われ、また、支部長等の役員が乗務員詰所に入ったり、あるいは津田沼電車区指導員詰所に入り、管理者に対し当日のストのため指導員を乗務させたことに関連して、大声で詰め寄ったり、抗議をするなどの行動がみられた。

(四) 原告は、同日午前一一時五五分からの集会に参加したのをはじめとして、同日午後一時すぎに行われた前記指導員詰所の行動の際は、江沢助役に対し同助役の机に腰かけるなどして「指導運転士をなぜ乗務させた」などと大声で詰め寄り、執拗にこれを繰り返して同助役の執務を妨害し、また、同日午後四時三五分から同六時一〇分の間に構内で行われたスト決起集会では、組合員らの前に立って「一一・二八スト貫徹するぞ」「民営分割粉砕」「動労千葉は闘うぞ」などシュプレヒコールの指揮をするなどしたものであり、津田沼電車区における業務の正常な運営を阻害する争議行為に参加したことは明らかである。

(五) なお、津田沼電車区は、労働基準法(昭和六二年法律第九九号による改正前のもの。以下「労基法」という。)にいう一の事業場であったものである。すなわち、同電車区に本線運転部門と検修部門があり、本線運転部門は本線上の旅客列車の運転をその業務とし、検修部門は車両の検査・修繕をその業務としており、両者は業務の内容を異にするものの、密接不可分のものであって、どちらか一方が欠けても列車の運転は不可能になるという密接な関連を有する業務であった。このため、被告は、労基法三六条所定の協定の届出を電車区単位に行ってきており、行政解釈は、電車区についてはこれを一の事業場として扱うこととしている。

2  本件賃金カットの有効性

(一) 最高裁判所昭和四八年三月二日判決・民集二七巻二号一九一頁、同昭和四八年三月二日判決・民集二七巻二号二一〇頁(以下、両判決を総称して「三・二判決」という。)の趣旨に従えば、年休権を行使した者が、自己の所属する事業場における争議行為に参加した場合、それは年休に名を藉りた争議行為にほかならないものであり、それは一斉年休であると、いわゆる割休ないし指名休暇であるとにかかわらないものである。

(二) 原告は、前記のとおり、動労千葉の全職場における乗務能率低下の指示に呼応し、年休に藉口してストライキに参加したものであり、原告の右行為はまさに年休闘争というほかないものであるから、原告は年休権を行使するに由ないものであり、本件賃金カットは正当である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)の事実は認める。

同(二)の事実中、動労千葉が国鉄分割・民営化阻止、一〇万人首切り合理化粉砕等を目的として、昭和六〇年一一月二八日正午から千葉以西に乗り入れる全旅客列車の乗務員を対象とする指名ストライキを行ったことは認め、その余の事実は争う。被告主張のストライキは、乗務員の指名ストライキであり、原告所属の運転検修係はストライキの対象とはなっていなかった。

同(三)の事実は争う。

同(四)の事実は争う。原告は、同月二八日動労千葉津田沼支部の集会等の諸行動に参加したことはあるが、ストライキに参加したものではない。

同(五)の事実中、津田沼電車区に本線運転部門と検修部門とがあり、これらの部門の業務内容が被告主張のとおりであることは認め、その余の事実は否認する。本線運転部門の乗務員の勤務の場所は、本線上の電車の運転席が主であって、同電車区の庁舎は点呼・待機などの場所でしかない。これに対し、検修部門の職員の勤務の場所は同電車区内の修理庫及びその周辺であって、両者はそもそも勤務の場所が異なるのである。また、両者はその要員の資格を異にしているため、要員の相互の差し換えは全く不可能であり、年休の取扱も両者は画然と区別されて運用されていたから、被告は両者を別の事業場として取扱って来たものである。

2  抗弁2(一)は争う。三・二判決は、一斉休暇闘争の場合に賃金請求権を否定しているのであり、割休ないし指名休暇闘争の場合については触れていないし、年休権を行使した者が自己の所属する事業場における争議行為に参加した場合、それは年休に名を藉りた争議行為であるとは判示していない。

同(二)は否認する。動労千葉は休暇闘争の指令・指示を発したことはない。原告は、自己の自発的意思で、半日繰り上げられたストライキ当日に当たることになるものとは全く考えずに、年休請求をしたものである。また、原告は、管理者の時季変更権の行使を振り切って休暇に入ったものではなく、管理者の時季変更権の行使があれば原告は勤務に就いていたものである。

第三  証拠関係(略)

理由

一  請求原因事実は当事者間に争いがない。

二  本件賃金カットをなすに至った経緯について検討する。

1  動労千葉が国鉄分割・民営化阻止、一〇万人首切り合理化粉砕等を目的として昭和六〇年一一月二八日正午から千葉以西に乗り入れる全旅客列車の乗務員を対象とする指名ストライキを行ったことは当事者間に争いがなく、この事実と、(証拠略)によれば、次の事実が認められ、原告本人尋問の結果中この認定に反する部分は前掲各証拠に照してにわかに措信しえず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  動労千葉は、日本国有鉄道再建監理委員会が昭和六〇年七月二六日内閣総理大臣に答申した「国鉄改革に関する意見」に反対することとし、同年九月九日から同月一一日にかけて第一〇回定期大会を開催し、同大会において、国鉄分割・民営化阻止、一〇万人首切り合理化粉砕等を闘争の中心に据えてストライキを含む第一波闘争を一一月下旬に設定して闘う旨を決定し、同年一〇月三日開催された第一回支部代表者会議において、一一月末ストライキの実現に向けた当面の取組方針を決定するなどしたうえ、同月二一日第三回支部代表者会議を開催し、戦術の基本として、(1)津田沼支部及び千葉運転区支部を拠点とし一一月二九日始発時から総武線千葉以西の全列車(ただし、貨物列車を除く。)を対象とする二四時間のストライキを実施する、(2)スト破り行為などがあった場合にはストライキ突入時間の繰上げ、ストライキ対象区の拡大(千葉駅に乗り入れる全列車)をもって対応する、(3)一一月二八日以降、全支部・全組合員によるストライキ突入態勢を確立するなどを決定し、同月二五日、執行委員長は、各支部長に対し指令第七号を発してストライキ実施等の準備態勢の確立を指示した。

(二)  動労千葉は、同月二七日第九回執行委員会を開催し、二九日に予定されていたストライキの実施を当局のスト破りに対抗するとして二八日に繰り上げ、二八日正午から千葉以西に乗り入れる全旅客列車の乗務員を対象とする二四時間の指名ストライキに突入することを決定し、翌二八日、執行委員長は、各支部長に対し指令第八号を発し、各支部は同日一二時以降千葉駅以西に乗り入れる全旅客列車の乗務員を対象とする指名ストライキに突入すること、各支部は右以降闘争集約時までの間ストライキ対象外の全組合員による非協力・安全確認行動を実施することなどを指示し、動労千葉は、津田沼支部及び千葉運転区支部(両支部は千葉鉄道管理局津田沼電車区及び千葉運転区をそれぞれ単位として組織されていた。)を拠点とし、同日正午から翌二九日正午まで二四時間にわたり千葉以西乗り入れの旅客列車乗務員を対象とする指名ストライキを実施した。

(三)  右争議行為により生じた列車の運行に対する影響は次のとおりであった。

(1) 二八日(正午から終電まで)

運休 旅客列車

総武快速線七一本(特急三二本・快速三九本)

総武緩行線七二本

その他二八本(特急九本・快速一九本)

遅延 旅客列車

総武快速線六一本(最高三一分、合計三三三分)

総武緩行線一〇八本(最高二五分、合計七三四分)

その他五〇本(最高二〇分、合計二七二分)

貨物列車

総武快速線二本(最高四分、合計七分)

(2) 二九日(始発から運転開始まで)

運休 旅客列車

総武快速線二〇八本(特急六四本、快速一四四本)

総武緩行線三三一本

その他一五三本(特急六四本、快速五七本、ローカル三二本)

貨物列車

総武快速線二八本

その他三六本

遅延 旅客列車

総武快速線一八本(最高一〇分、合計三八分)

総武緩行線三一本(最高一三分、合計一五四分)

その他四本(最高二八分、合計一二六分)

貨物列車

総武快速線四本(最高五三二分、合計一三九八分)

なお、両日とも総武快速線と千葉以東相互直通列車については、各線重複計上している。

また、右争議行為の間の二九日未明、これを支援すると称する一部過激派の信号ケーブル切断等の同時多発ゲリラ事件が発生し、首都圏の国電が全面的にストップする事態も生じ、総武快速・緩行線が運転を再開したのは同日午後三時すぎであり、成田線が運転を再開したのは、午後一時四五分であった。

(四)  動労千葉津田沼支部は、同年一〇月一五日支部大会を開催し、同大会において、「栄光ある津田沼こそ全支部の牽引車となろう。」と確認し、満場一致で同支部が火の玉となって一一月ストライキへ総決起する方針を決定し、動労千葉が実施した右争議行為において拠点の一となった。津田沼支部のある津田沼電車区では、同月二八日午前一一時五五分ころから動労千葉津田沼支部事務所脇に多数の組合員が集って、集会が開かれ、シュプレヒコール等が行われ、その後も構内において集会やシュプレヒコールをしながらデモ行進が行われ、また、動労千葉本部執行委員片岡一博、津田沼支部長山下幸及び津田沼支部執行委員である原告等は、同日午後一時すぎころ津田沼電車区指導員詰所に入り、江沢助役に対し当日のストのため指導員を乗務させたことに関連して、大声で詰め寄ったり、抗議をする等した(原告が津田沼支部執行委員であったことは後記のとおり当事者間に争いがない。)。

津田沼電車区においては、前記争議行為により前記のように二八日・二九日の両日にわたり総武緩行線が運休・遅延するなどの影響が生じた。

2  原告が昭和六〇年一一月当時動労千葉津田沼支部執行委員であったことは当事者間に争いがなく、この事実と、(証拠略)によれば、次の事実が認められ、原告本人尋問の結果中この認定に反する部分は前掲各証拠に照してにわかに措信しえず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告は、前記第一〇回定期大会まで動労千葉本部青年部長兼本部特別執行委員であり、同年一〇月一五日開催された津田沼支部大会において、同支部執行委員に選任され、同日以降は同支部執行委員の地位にあった。

(二)  原告は、同年一一月二一日津田沼電車区長に対し同月二八日の午後半日の年休の請求をしたところ(この事実は前記のとおり当事者間に争いがない。)、同月二七日、同日開催された第九回執行委員会の決定により前記のように二九日に予定されていたストライキが二八日に繰り上げられ、二八日正午から実施されることを知ったことから、担当の来栖助役に対し右年休が承認されているかの確認を求め、同助役から右年休が承認されていることの確認を得た。

(三)  原告は、同月二八日午後は勤務せずに、同日午前一一時五五分ころから動労千葉津田沼支部事務所脇で開かれた前記集会に参加し、同日午後四時すぎころから同六時すぎころまでの間に構内で行われたスト決起集会では、組合員らの前に立って、本部執行委員片岡一博とともに、シュプレヒコールの指揮をし、また、同日午後一時すぎころ前記指導員詰所において、右片岡一博等とともに、江沢助役の机に腰かけるなどし、同助役に対し、こもごも「なぜ指導を乗せたんだ。」と大声で詰問するなどし、同助役の職務の執行を妨害した。

(四)  津田沼電車区長は、同年一二月一一日原告に対し原告請求の前記年休を不承認とする旨通告した。

三  次に、津田沼電車区が一の事業場であるか否かについて検討する。

1  津田沼電車区に本線運転部門と検修部門があり、本線運転部門が本線上の旅客列車の運転をその業務とし、検修部門が車両の検査・修繕をその業務としていたことは当事者間に争いがなく、これらの事実と、(証拠略)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(一)  津田沼電車区は、前記争議行為当時、千葉以西の総武緩行線及び千葉以東の緩行線の旅客列車の運行などの業務を所掌し、その内部機構は電車区長の下に本線運転、検修など七部門から成っていた。

(二)  本線運転部門は、津田沼電車区所轄の本線における同電車区所属の旅客列車の運転をその業務とするものであり、前記争議行為において指名ストライキの対象とされた旅客列車の乗務員のうち同電車区所属の乗務員は本線運転部門に所属していた。検修部門は、同電車区所属の車両の検査・修繕をその業務とするものであり、原告が所属していた運転検修係は検修部門に属していた。本線運転部門所属の乗務員は、同電車区庁舎を点呼・待機などの場所とし、同電車区所轄の本線の全域を勤務の場所としていたのに対し、検修部門所属の職員は、平常は同電車区庁舎から五〇〇メートル以上離れた場所に設置された修理庫を勤務の場所としていた。本線運転部門所属の乗務員と検修部門所属の職員とは、その業務内容の相違、資格の相違などの点から一方が他方の業務を行うことは不可能であった。

(三)  津田沼電車区の年休管理者は電車区長であり、年休請求に対する時季変更権の行使・不行使は電車区長が決定していたが、時季変更権の行使・不行使に当たって事業の正常な運営の阻害の有無の判断は前記の部門以下の単位においてなされ、要員の確保も部門以下の単位においてなされていた。

(四)  労基法三六条所定の協定は、津田沼電車区を一の事業場として締結され、所轄労働基準監督署に届出られており、行政解釈は、電車区についてはこれを一の事業としていた。

(五)  なお、昭和六一年九月一日、習志野電車区が新設され、これに伴い津田沼電車区は津田沼運転区と名称変更され、従来の津田沼電車区の業務のうち検修などの部門は習志野電車区の業務となり、本線運転などの部門が津田沼運転区の業務となった。

2  右認定事実によれば、津田沼電車区の本線運転部門と検修部門とは、その業務内容を異にするものの、同電車区所属の旅客列車の運行について密接な関連性を有し、同電車区の年休管理者は電車区長であり、年休請求に対する時季変更権の行使・不行使は電車区長が決定していたものであり、労基法三六条の適用に当たっては同電車区を一の事業場と取扱って来たなどの事実が認められるから、津田沼電車区は一の事業場であったと認められる。

もっとも、右認定事実によれば、同電車区の本線運転部門所属の乗務員は、同電車区庁舎を点呼・待機などの場所とし、同電車区所轄の本線の全域を勤務の場所としていたのに対し、検修部門所属の職員は、平常は同電車区庁舎から相当距離の場所に設置された修理庫を勤務の場所としていたものであり、本線運転部門と検修部門とは平常は業務の場所を同一にしていたものではないが、車両の故障などの事態が発生した場合には検修部門の業務の場所は同電車区所轄の本線の全域に及ぶものと考えられるから,両者は業務の場所を常に同一にしていなかったものとはいえない。また、本線運転部門の業務の場所が同電車区所轄の本線の全域に及ぶものであることは、物的手段として線路などを利用する鉄道事業の性質に由来するものであるから、本線運転部門の業務の場所と検修部門の業務の場所が平常は同一でなかったからといって、津田沼電車区を一の事業場と認めることの妨げとなるものではない。

また、津田沼電車区においては、年休請求に対する時季変更権の行使・不行使に当たって事業の正常な運営の阻害の有無の判断が部門以下の単位においてなされ、要員の確保も部門以下の単位においてなされていたことは右認定のとおりであるが、これらは業務内容を異にする多数の部門(部・課など)を有する事業場においては当然の措置であり、時季変更権の行使に当たっては、これらの特定の部門の業務の正常な運営の阻害が事業所全体の事業の正常な運営を阻害するか否かが判断されるべきであるから、右事実は津田沼電車区を一の事業場と認めることの妨げとなるものではない。

四  そこで、本件賃金カットの有効性について判断する。

1  労基法三九条一、二項に定める年次有給休暇は、これをどのように利用するかは使用者の干渉を許さない労働者の自由であるから、休暇日を労働者がどのように利用するかは本来年次有給休暇の成否に影響するものではない。

しかしながら、自己の所属する事業場でなされる争議行為に参加する目的をもって、年次休暇届を提出して職場を離脱する行為は、少なくともその争議行為が当該事業場における事業の正常な運営を阻害する程度の規模ないし態様でなされる場合には、その実質は、年次休暇に名を藉りた同盟罷業にほかならないから、当該時季指定日に年次休暇関係が成立する余地はないと解すべきである。けだし、右のような職場離脱は、たとえ年次休暇権行使の形式をとっていても、使用者の時季変更権を初めから無視し、当該事業場の業務の正常な運営を阻害することを目的としたものであり、そこには、そもそも、使用者の適法な時季変更権の行使によって事業の正常な運営の確保が可能であるという、年次有給休暇制度が成り立っているところの前提が欠けているからである。

2  前記二、三認定の事実によれば、動労千葉は、津田沼支部を拠点の一とし、総武線千葉以西の旅客列車の運行停止を意図して前記争議行為を行ったものであり、前記争議行為により前記二1(三)のとおり列車の運行に著しい影響が生じ、動労千葉津田沼支部が置かれた津田沼電車区においても、総武緩行線の旅客列車が運休・遅延するなど旅客列車の運行に著しい影響が生じ、同電車区における事業の正常な運営が阻害されたものである。原告は、当初から前記争議行為に参加する目的をもって前記年休を請求したものではないが、前記争議行為の前日である昭和六〇年一一月二七日、二九日に予定されていたストライキが二八日に繰り上げられ、二八日正午から実施されることを知り、同電車区の担当助役に対し前記年休が承認されていることを確認しながら、前記年休の請求をそのまま維持したうえ、前記年休の日に勤務しないで、自己の所属する事業場である津田沼電車区における争議行為に参加し、前記のように積極的な役割を果たしたものである。そして、原告の右の行動、原告の動労千葉本部の役員歴、津田沼支部における役員の地位及び動労千葉の闘争方針などを考慮すれば、原告はその当時電車区長が前記年休請求に対し時季変更権を行使したとしても、それに従う意思を有しなかったことは明らかである(これに反する原告本人の供述は右各事実に照してにわかに措信しえない。)。

これらの事実によれば、原告は、自己の所属する事業場である津田沼電車区でなされる前記争議行為に参加する目的をもって、前記年休請求を維持し、職場を離脱したものであり、前記争議行為はその意図においても、実際の結果においても、同電車区における事業の正常な運営を阻害する程度の規模及び態様でなされたものであるから、原告の行為は、その実質は、年次休暇に名を藉りた同盟罷業であり、本来の年次休暇権の行使ではないというべきである。

したがって、被告主張のように、原告の行為が年休闘争であるか否かはともかくとしても、原告の請求にかかる休暇日に年次休暇関係が成立する余地はない。

3  してみれば、本件賃金カットは有効というべきである。

五  よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判官丸山昌一)

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